アンコンシャスバイアスによる働き方の変化
最近、アンコンシャスバイアスについて説明を受ける機会がありました。日本語にすると「無意識の偏見」となります。こうやって言語化されると、いろいろな場面でアンコンシャスバイアスが存在することに気づきます。感想文みたいな感じで、僕が感じたことをつらつらと書いてみました。
ちょうどその日の夜、こんな記事が僕のメルマガに入ってきました。僕の感想として書いた内容とリンクするようなことが書かれていて、引き寄せるんだなと思いましたね。
以下、、、
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アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)について説明を受け、普段当たり前のように目にしていることや耳にしていることがアンコンシャスバイアスに該当しているなと感じました。
事業計画のブレストの中で、「ダイバーシティは推奨していきたいけど、外国人の方ってうちの仕事に定着しないですよね。」とか、「副業は認めてあげたいけど、うちのメンバーに副業を認めると本業に影響が出るよね。」とか、その人のアンコンシャスバイアスでの発言があります。
こういった発言の裏には、発言者が経験してきた場面に登場してきた人がそうだっただけであり、一般論ではないという前提がありますが、本人は気付いていません。
なぜなら、アンコンシャスバイアスを通してそれが「当たり前」「普通」になっているからです。
むしろ、同調を求めてきたりもします。
この議論になった瞬間に、一旦ブレストを止めざるを得ません。
個人のアンコンシャスバイアスが入ってきた時点で、適切な議論はできなくなるからです。
今、僕が推奨しているのは、「正解のない問題に対して議論をする」ということです。
その際のルールとして、個人の考え・価値観・偏見を言うのは禁止で、自身が知っている事実(ファクト)に基づいて意見(オピニオン)を言うというものです。
このような意識を持つと、アンコンシャスバイアスは出にくくなります。
ただ、それは上記のようなルールに従っているだけです。
いざ、日常的な業務に戻ると、アンコンシャスバイアスが垣間見えてしまいます。
これは非常に残念なことです。
バイアスはあっても良いとは思います。
育ってきた環境や人間関係の中でできてくるものですし、それこそその人の「個性」と言い換えることもできます。
問題なのは、「無意識」であることだと思います。
無意識であるが故に相手を傷つけてしまったり、属人的な判断になってしまったりします。
ちょっとだけ自分を俯瞰的に見るだけで、「無意識の偏見」が「意識的な偏見」に変化し、偏見をコントロールすることができると思っています。アンコンシャスバイアスという概念が、これからの労働市場の中でキーポイントになってくるのではないかなと感じることができました。
今やっている仕事に当てはめていくと、アンコンシャスバイアスを意識化することの大切さを感じます。
1つ目は採用面。
採用では今、人手不足による選考のAI化が加速しています。
某大手企業では、書類と適性検査の結果をAIに読み込ませ、ハイパフォーマーの素質があるかどうかを判断しています。
某ベンチャー企業では、録画した動画面接をAIに読み込ませ、バーバルの側面とノンバーバルの側面からハイパフォーマーになるかどうかを判断しています。
これにより、人事担当者の工数削減に繋がるのは間違いありません。
2つ目は人材紹介面。
上記の事例にも近いですが、某大手人材会社ではキャリアアドバイザーの工数を削減させる為に、履歴書や職務経歴書をAIに読み込ませ、その人に適した企業を自動で出力させています。
できる限りキャリアアドバイザーの工数を削減するという流れになってきているのは間違いありません。
この2つの事例は、「担当者の工数削減」と「担当者のアンコンシャスバイアスによる属人的な判断をなくす」という狙いがあるはずです。
RPAの発達により、こういった流れは加速するのかなとも考えています。
ただ、僕自身はこれとは逆のことを考えていて、今の会社でビジネス化しています。
「人の選考結果」や「人の転職先」をAIが決めているという事実を、その該当者が知ったらどう思うか?
いろいろな企業、いろいろな職種の方にヒアリングした結果、「ちょっと嫌だな」と言っていました。
じゃあ、どんな人に言われたら納得ですか?と聞くと、「信頼されている人に言われたら納得すると思います」と。
僕はここに、「人にしかできない仕事があるのかな」と考えています。
選考結果や転職先を自動化すると、その後も別に人じゃなくても良いと思いますから、「判断」するのは最終的には人であるべきだと感じています。
だからこそ、採用担当とかキャリアアドバイザーという仕事の価値はもっと上がっていくべきだと考えています。アメリカのプロ・リクルーターは年収1,000万円を超えますが、日本では考えられません。
話が少し逸れましたが、上記のような「人の判断」に寄り掛かるようになった時、その判断する人がアンコンシャスバイアスを持っていて、それを認識していなかったら、それは悲しいことです。
いろいろな仕事が自動化されていく一方で、人にしかできない仕事が価値を持ってきます。
人にしかできない仕事に従事する人は、少なくともアンコンシャスバイアスを認識していてほしいなと個人的には感じました。
今回、アンコンシャスバイアスの概念を知ることができて、今後の仕事において良い影響を及ぼすと思っています。
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少し長くなってしまいましたが、アンコンシャスバイアスという概念は非常に重要かなと思います。
人が仕事をしていく上で、アンコンシャスバイアスが一切なくなることがないですから。
そこで考えるべきは、「どこの領域であれば人のアンコンシャスバイアスが介入しても良いのか?」という線引きをすることかなと。
ここはいわゆる「経営者」の仕事。
だからこそ「経営者」という仕事は人にしかできないと言われているのでしょう。
アンコンシャスバイアスという概念を意識していると、どの領域で仕事をラクにしていくか、その考え方も変わると思います。
そもそもロボット化した方が早い仕事というのは「人にしかできない仕事」ではないですし、人がやることを仮定して、そこの効率性を上げていったとしても、いつの時代かには、その効率化したものとは比べ物にならないくらい圧倒的に効率化されていきますから。
ライフハックの考えにも通じてくるなーと、考えさせられる良い機会でした。
目標を達成し続けるための準備
前回は、、、ノマドライフを事例として挙げて「ベース構築気に何を捨てるのか?」という記事を書きました。
今勤めているベンチャー企業では、自己実現を追う若者ばかりですし、心から応援したいと思っています。
ただ、いろいろな人と話していて、「このままでそこまで到達できるの?」ということを思うことがあります。
そう思う人ほど、何も捨ててないんですね。
別に否定はしません。
その人の人生ですからね。
自分で気付かなければ本気はでませんから。
言うても、僕自身もまだまだ「なりたい自分」にまでなれていませんが、大手企業から転職して3年が経とうとしている今、友人との時間や趣味の時間などを捨ててきてやっと、理想の将来を歩むことができる軌道に乗ったと思っています。
本日は、「目標を達成し続けるための準備」について。
人生を通してなりたい自分になるために、
仕事を通してなりたい自分になるために、
与えられた役割で使命を全うするために、
目標は達成させていかなければなりません。
前職の大手企業においても、半年に1回の査定面談があり、上長と1時間ほどの面談を実施していました。
「査定」という意味においては、本当に無駄な時間でした。
シートの記入は求められますが、何を書いたって評価に影響することはありませんでした。
1年に1回、確実に給料が上がっていくためです。
では、なぜそのような面談があったのか。。。
気になって、その上司に聞いたことがあります。
学生のインターン時代からお世話になっていた方で、今でも年賀状を送ってくれる本当に良い上司。。。
教えてくれましたね。
「若手のみんなには全然意味のないことだよ。意味が出てくるのは中堅以降。以下に良いこと・気に入られることを書いて、上司から気に入られていくか。このシートが大きく影響してくるんだよ。」
この上司の方は本当に良い方なんですよ。
ただ、これを聞いたとき、「マジでくだらない」と思ってしまいました。
話は逸れましたが、目標を達成し続けるためにはどんな準備が必要なのか。
「どんな準備」というより、「いつ準備する?」ということが重要ですね。
大抵の会社では、ある期間で目標を定めて、その目標を追っていきます。
例えば、半年間に1回の査定がある会社では、半年間である目標を追っていくことになるでしょう。
3月が期初の会社では、8月時点の結果・成果で査定が実施されます。
意識としては、「よし、この目標を3月から8月で達成させるぞ!」という気持ちになっているはず。
この社員は全力で半年間を過ごし、見事目標を達成することができました。
その結果、人事査定でも良い評価を受けることができ、お給料が上がりました。
・・・・・・・・・・・
その半年間に夢中になり過ぎて、気付いたらもう次の査定期間に突入している。。。
これでは、「目標を達成し続ける」ことはできません。
では、どんな意識が必要なのか?
簡単です。
目標達成期間を短く設定すれば良いんです。
そうすれば、半年間より早く目標を達成させることができ、次の期間へ向けて準備ができます。
半年間の目標であれば、3ヶ月~4カ月半で目標をクリアし、次の期間へ向けて準備をしたいですね。
これを徹底的にやっていけば、目標を達成し続けることができますね。
ベース構築期に何を捨てるか?
前回は、「当たり前レベルを上げると仕事がラクになる」という記事を書きました。すると、その直後に面談をした学生がこんなことを話していました。
http://nn-lifelog.hatenablog.com/entry/2019/01/13/083205
『「働きやすさ」を就活では大切にしています。』と。僕は本当にひねくれているので、「働きやすさ」などという環境要因で決まってきたり、どう判断するかもイマイチ明確ではない回答が来ると、深掘りしたくなるんですね。
基準は人それぞれだと思いますが、条件や福利厚生が良ければ働きやすいんでしょうか?副業が認められていたり、テレワーク制度があったりしたら働きやすいんでしょうか?
人間て本当にワガママなので、どんなに良い環境でも「もっとこうだったら良いのにな。。。」と思うことが必ずあるでしょう。「本当はこうしたいけど、制度上こうしないといけないからな。」と感じることもあるでしょう。
ただし、それって「そりゃそうだよな」って感じですよね。だって、会社というのは「組織・チーム」なのですから、個人の好き勝手に全社員が行動していたら、規律も何もなくなってしまいます。会社には規定があり、ある規律の元で行動することが求められます。
で、話を戻しますが、「働きやすさ」って結局、前の記事で書いたことですが、「信頼」の上に成り立つものだと思います。なので、「働きやすさを求める」のではなく、「働きやすさを作っていく」という考え方を持ったら良いんじゃない?と、面談した学生には伝えました。
前振りが長くなってしまいましたが、、、
今回書きたいのは、「ベース構築期に何を捨てるか?」ということです。
本田直之氏は著書「ノマドライフ」で、「ノマドライフまでの6つのフェーズ」を以下のように定義しています。
※ここではあくまでもノマドライフを目指すという前提ですが、中身を読んでいくと、要は「自分が考える理想の人生を送るための6つのフェーズ」と置き換えることができます。
◆ノマドライフまでの6つのフェーズ
①ベース構築期(5年間)
②方向性の模索期(3年間)
③未来につながる実績を残す時期(5年間)
④転換期(2年間)
⑤実践期(5年間)
⑥シェアの時期
この6つのフェーズを経て、自身の理想の人生が叶っていくと仮定すると、第1フェーズの大切さを痛感します。何事もベースが大切で、ここで確固たるベースを作っておかなければ、先には進めません。
そして、この第1フェーズでは、どのように時間を使っていくかが重要になってきます。
僕の話になりますが、大学院修了後は東証一部上場企業に入社し、高校1年生の頃から夢見ていた建築構造設計者としての仕事に従事しました。この会社にいた3年間は、平日は仕事をし、土日はサッカー・フットサルを毎週やるというような生活をしていました。もちろん、自己研鑽や一級建築士の勉強を毎週やりながら、空いてる時間を見つけて蹴るというような生活です。サッカーやフットサルは小学3年生の頃からやっていたので、社会人になっても趣味として続けていました。
今思うと、もっとやるべきことがあったなと思う一方で、社会人3年間でそのような生活をしてきたからこそ今の自分があるので、全く後悔していない自分がいます。
僕にとっては転職してからが第1フェーズのスタートで、今の会社に勤めるタイミングで捨てたことがあります。それは、毎週のようにやっていたフットサルです。仕事がないお休みの日に仲間と集まってフットサルをすると、時間の消費量が多いんですね。この第1フェーズは、ベースを作る時期であり、たくさんのことをやる余裕がないので、何かに集中することが良いんです。要は、何かを捨てる必要があるということ。僕は、仲間とボールを蹴る時間を「とりあえず」捨てました。毎週だったのが1ヶ月スパンになり、数ヶ月スパンになり、半年スパンになり、1年スパンになり、、、という感じで、頻度を少なくしていきました。
※「とりあえず」というのは、後のフェーズでこの時間を取り戻しに掛かるという意味合いがあります。
「社会人3年間でそのような生活をしてきたからこそ今の自分がある」ということを上で書きましたが、これがどういうことかと言うと、数ヶ月間や1年間や数年間ボールを蹴る時間がなくても、「いつかまたみんなで集まろう」と思える仲間を作れたという意味です。これは、今後の人生において、どんなことがあっても崩れない絆ですね。今の僕が仲間とボールを蹴る時間を捨てることができているのは、この絆があるからです。
このフェーズて時間やお金の取られることをあれこれやってあると、「インフラとしてのスキル」が身に付かず、先のフェーズに進まなくなります。
ちなみな僕自身は転職して3年間が経とうとしています。ベース構築期としてのメドはあと2年間なので、この3年間で構築してきた「インフラとしてのスキル」を深掘りしながら、仕事面だけでなく生活面におけるスキルを肉付けしていく計画です。
みなさんは、どんな「インフラとしてのスキル」を身に付けますか?そして、「インフラとしてのスキル」を身に付けるために何を捨てますか?
考えてみる価値はあると思います。
当たり前レベルを上げると仕事がラクになる
前回は、建築家のミース・ファン・デル・ローエの格言を紹介しました。
「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)
「God is in the detail」(神は細部に宿る)
※以下、前回の記事です。
http://nn-lifelog.hatenablog.com/entry/2019/01/07/070917
最近思うことがあります。「依頼されていることをなぜやらないのか?またはやれないのか?」「なぜ自身のTodoから漏れてしまうのか?」ということ。
期日を守れない、ルールを守れない、こんな状況が続くと信頼されなくなっていきます。
「この人に依頼してもやってくれないから、別に人にお願いしよう」「きっとこの人はやらないだろうな、、、やっぱり」となってしまいます。
僕が依頼する側だったら、そう思いますね。
以前、Todo管理について書きましたが、方法は人それぞれだと思います。
※「タスク管理・Todo管理」に関する記事。
http://nn-lifelog.hatenablog.com/entry/2018/07/23/233544
例えば、「●●をやってくださいね」と言われたら、少しでも早いタイミングでやろうと思いますよね。
期日が決められていれば、期日までに確実に実施しようと考えて、スケジューリングしますよね。
じゃあ、何回言ってもやらない人ってどんな人なのか、、、
単純に、依頼されたことをやる意味がわからないからやらないというパターンもあると思います。
ただ、この場合はチームのマネージャーの管理不足が原因ですね。
「●●をやりなさい」と言ったところで、それをやる意味がわからなければ動かないでしょうし、それがその人にとってどんな意味があるのかも説明してあげないと、その人は自分事として捉えてくれないですね。
もう一つは、普通に忘れるパターン。
「あっ、そういえばやってない。やらなければ。」という人が多いのかなと思います。
これって何が原因なのか?
チャットで「●●について確認してくださいね」と言ったのに、数日経っても返信もなければ状況は変わってない。
感覚的に「後でやろう」ではほぼ間違いなく忘れます。
タスクリストやTodoリストに入れるという作業をやる方もいますね。
ただ、それだけでも忘れます。
タスクリストやTodoリストに入れたとしても、それを追加しただけで「いつやるのか?」まで管理できてないのことが原因です。
リスト上に「●●日が〆切」「●●日までに実施する」ということが反映されていることもあると思いますが、それでも不十分です。
リストを毎日確認して、毎日のスケジュールにまで落とし込んでいれば問題ないのですが、往々にしてあるのが、スケジュールとリストがリンクしていないという現象。
リスト上では「今日●●をやろう」と思っていても、スケジュール的に空いた時間がない。
そうするとどうなるかというと、「今日できなかったから別日に変更しよう」となります。
〆切がその日だったら、担当者に催促されます。
もはや負の連鎖ですね。
こんな人がやるべきことはたった1つ。
自分の時間をブロッキングすることです。
スケジュールに「13時に●●さんとランチに行く」って書いてあったら、13時に●●さんとランチに行きますよね。
これと同じことをやるだけです。
どんな小さなことでも自身のスケジュールに入れておく。
〆切があれば〆切前のスケジュールに落とし込む、〆切がなくても依頼されたことは近々の日程で空いている時間に落とし込む。
その時間になったらそのアクションを起こすのですから、単純で最も有効な自身のアクション管理ですね。
こういう当たり前レベルのことを当たり前にできる人が、当たり前のように信頼されていきます。
当たり前レベルを上げていくと、些細なことで周囲から指摘されることがなくなります。
「この人は特に何も言わなくてもやってくれるな」と思ってもらえれば、何度もリマインドされることもなくなります。
そうすると、確実に仕事がラクになります。
そうなると、人生が楽しくなりますね。
どんなスタンスで仕事をするのか?どんなスタンスで生きるのか?
前回は、人生理念を貫けば無意識レベルで自分の目指しているものに近づいていくというような内容を書きました。
~人生理念を貫けば無意識レベルで目指しているものに近づく~
ナイチンゲールが以下のような格言を残していますが、まさにその通り。人間は思ったようにしかならないんです。
WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT.|Earl Nightengale
人は自ら思い描いたとおりの自分になる|アール・ナイチンゲール
高校1年生から建築の世界で仕事をしたいと志を持ち、大学院まで建築を学び、修了後3年間はゼネコンで仕事をしてきたので、建築は大好きです。
その中で、ミース・ファン・デル・ローエ(1886–1969)というドイツ出身の建築家が残した2つの格言を紹介します。
仕事のスタンスとして、今でも活きていると感じています。
1つ目
「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)
彼はシンプルなスタイルを推し進めた建築家である一方で、家具のデザイナーでもありました。「よりシンプルに明確にすることが、より良いデザインにつながる」という考え方を持っていました。
追加要素を付け加えたり装飾品を飾り立てるのではなく、そこにあるモノから不必要な要素を差し引いていくことで、限りなくゼロに近い表現・スタイルとなり、生活をシンプルにしていくという考え方。
よくよくこの言葉を調べていくと、ライフハックの考えに似ていると感じてきました。・・・人生をもっと豊かにするために仕事をラクにしたい➥仕事をラクにするために不必要な要素を排除していきたい➥不必要なものを排除するために小さなことを改善させていく
「本当に必要なものだけを厳選していくと、それだけで人生は豊かになる」ということに繋がる格言だと思っています。僕自身も何かを買うときには「これがないと死ぬ?死なないなら買わない」ということを自問自答しています。そうすると、本質的に大切なものだけが残っていきます。そして、本質的に大切なものに集中していくようになってから、自分が仕事をしている意味や生きている意味を実感しながら毎日を過ごすことができています。
まさに「Less is more.」な人生ですね。
2つ目
「God is in the detail」(神は細部に宿る)
「細かなディテールを疎かにしては全体の美しさは得られない」「細かくこだわった細部こそが作品の本質を決める」といった意味を表しますが、要は「目のとめどころさえかっこ良ければいい」ということにも言い換えることができます。
人間の目は視野角度130度程度ですが、特定のディテールにフォーカスを当てると、そこにしか目がいかなくなります。例えば、部屋の中をイメージしてください。部屋全体のレイアウトがどれだけ整えられていても、ある一箇所(例えば、椅子の背もたれデザインや食器棚の取っ手のデザインなど)が気になると、そこの印象が部屋の印象を決めてしまうことってありませんか?
人付き合いにも言えると思います。一般的にはすごく良い人なんだろうけど、この人のここの部分が気になって、どうも仲良くなり切れない。なんてこと、僕はあるんですけどどうですかね?
広く物事を捉えられるからこそ、細部がより気になる。これが人間なのかなと。正確にもよりますけどね。
そもそもこの言葉、前職時代に上司から常に言われていました。建築の構造設計をやっていたのですが、「複雑なところに気をつかうのは当然。大切なのは、簡単なところにどれだけ気をつかえるか。簡単なところにこそこだわりを持って設計することこそ一流のプロの仕事。」というニュアンスのことをずっと聞いていたために、それが自分にとっては常に意識するポイントになっていました。
職は変わっても、僕の仕事のスタンスになっています。
「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)
「God is in the detail」(神は細部に宿る)
これらは建築家の格言ですが、建築だけでなく、仕事にも当てはまる、もっと言うと人生にも当てはまる素晴らしいメッセージだと思っています。
人生理念を貫けば無意識レベルで目指しているものに近づく
前回は、習慣化について書きました。
〜最も単純だけど最も難しい「習慣化」〜
http://nn-lifelog.hatenablog.com/entry/2018/12/16/214023
社会人になると、自分自身を取り巻く様々な要因により、新しい何かを自身の生活に取り入れるのは難しいんだろうなと、、、いろいろな人を見ていると感じます。
できている人とできていない人、何が違うのか?
一つに、「人生理念の無さ」があると思います。
人生理念が無いということは、目標を立てて達成させたとしても「あれっ、目標を達成したけど、何の為の目標だったんだ?」となってしまいます。
自分事として能動的に自分の人生を送れないのかなとも思います。
まぁ、目標を達成させていきながら人生理念を決めていくのも良いと思いますが、確固たる自分を構築する為に、20代のうちには人生理念を決めていきたいですね。
※ちなみに僕の人生理念は「愛」「感謝」「信頼」です。
さて、今回はタイトルの通り、人生理念を貫けば無意識レベルで目指しているものに近づくという話です。
僕が社会人になって最初に読んだ本がこちら。
著者:本田直之 氏
「ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと」
高校1年生の頃に通っている高校が水害に遭い、自転車で通っている中で「あっちの家は何事も無かったかのように建ってる、こっちの家は取り壊されてる。何で?」という純粋な疑問から、大学では建築構造を学び、将来は構造設計者として建築構造に携わっていくと決めていた。
高校・大学・大学院と、僕はその夢に向かって突っ走る生活を送ってきました。そして、建築構造設計職でゼネコンに入社してこの本を読むまでは、「これからは構造設計者としてこれまでの学びを活かしていく」と本気で思ってきました。
この本は僕自身が人生について考え直すバイブルにもなっており、今でも定期的に読み返しています。
この本の始まりは、スティーブ・ジョブズのこの言葉。
「今日が人生最後の日だとして、今日これからやることは、本当にやりたいことか?何日ものあいだNOという答えが続いた時は、何かを変えなければならない。」
僕の社会人1年目は、毎日この言葉を自分の中で反芻していました。
「NOが続いたからといって仕事を変える」ということは一切思わず、自分の意識を変えてきました。
この「何かを変えなければならない」ということに対して、環境のせいにすることなく、自分自身で変えられるものを常に変えてきました。
ところで、この本で言われていますが、ノマドライフの定義は「仕事と遊びの垣根のない、世界中どこでも収入を得られるノマドビジネスを構築し、2カ所以上を移動しながら、快適な場所で生活と仕事をすることで、クリエイティビティや効率性、思考の柔軟性が向上し、それがいいスパイラルになるライフスタイル」というもの。
ただ単に「オフィスを持たずいろいろな場所で仕事をする」「インターネットを活用しモバイルを駆使した働き方」というものではありません。
収入の話をします。
今現在、僕自身がこのノマドライフを100%実践しているわけではないですが、状況的に近いのかなと思うので、この話をします。
僕自身、いわゆる大手企業(前職のゼネコン)から今のベンチャー企業へ転職し、収入は下がりました。
このノマドライフの図でいう凹んでるところかなと思います。
※本の図を引用。
ただ、この本で言われていることに、以下のようなものがあります。
「ノマドライフは続けていくと、ライフスタイルそのものがコンテンツになる。ライフスタイルを突き詰めるほどに生活や仕事のスキルが上がり、その上がったスキルからビジネスをクリエイトする能力が身につく。」
今の自分の毎日を振り返ると、まさにこれに該当するなと感じます。
昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、、、
出勤してるしてないに関わらず、1日過ぎるごとに、自分のビジネスパーソンとしての価値を上げることを意識しているので、それがスキル向上に繋がりビジネスを生む可能性を上げることに繋がっていると実感します。
不運なことに、僕が建築業界を離れてからというもの、建設会社は好景気を迎え(オリンピックの影響が大きい)、給与(ボーナス)は跳ね上がりを見せていますので、まだまだ前職にいた方が年収的には多かったと思います。
ただ、今の僕が掲げている目標やビジョンを徹底的にやっていけば、僕の掲げている理想の生活を確実に実現できると感じています。
それも全ては人生理念を掲げてそれを貫いているからだと思いますし、そこから日頃の行動にまで落とし込めているからこそ、無意識のうちに近付いてきているのかなとも感じます。
ただ、最初からここまでの一貫性を持たせることができたかというとそうではなく、ここまで一貫性を持ってきたのもここ半年とかの話です。
転職した約3年前、今の仕事が安定してきた1年前、今現在、、、
人生ビジョンは全ての瞬間で違います。
「愛」「感謝」「信頼」
この3つの理念だけはブラすことなく過ごしてきた結果、今の自分があります。
今掲げている人生ビジョンは、もう変わることはないでしょう。
2019年3月に30歳になりますが、30歳になるまでに30歳以降の人生において大切にし続ける人生ビジョンを決めるという目標は達成できました。
人生理念の上に人生ビジョンがあり、それがブレないと決まった今、先ほどの年収の図で言うと、あとは上がり続けるだけです。
ここまで来ればもう無敵ですね。
どんな外的要因にも左右されない、何があってもブレない自分が上に登り続けるだけなので。
仕事においてもストレスを全く感じない、どんな出来事でもこれからの自分のビジネスに活きるコンテンツになりますから。
改めてこの本を読んでいて、アウトプットできることが多いなと感じました。
しばらくはこの本をもとに記事を書こうかなと思います。
読み返しながら、記事を書きながら、改めて自分の人生へ徹底的に落とし込んでいきます。
最も単純だけど最も難しい「習慣化」
12月も中旬になり、2019年を迎えようとしています。この時期には毎年、「その1年の振り返り」と「次の1年のイメージ立て」をします。
Evernoteを使ってライフログを始めたのは2013年の4月。毎年のイメージ立てを始めたのは2015年の12月。ライフログ歴もまだまだ浅ければ、1年の振り返りとイメージ立ても全然慣れないです。ただ、慣れないながらも確実に行動に起こしているので、「習慣化」してきています。
「振り返りとイメージ立て」に関して、年間なると実行する頻度は少ない(1年に1回)ですが、月間(1ヶ月に1回)/週間(1週間に1回)/日次(1日に1回)/都度都度(行動ごと)と細分化していくと、もはや習慣になってます。
過去の記事にも書きましたが、ライフログを習慣にする為に、始めたての頃は全ての行動や思考を記録に残していました。
・起きた
・ラーメン食べた
・楽しかった
・悔しかった
これだけ見ると小学生の日記のようですが、本当にこんな感じでした。文字だけだと後から見返したときに状況把握ができないので、写真をセットにするというルールは決めていました。
「ライフログを付ける」というのは自分にとっては慣れない行動だったので、最初は本当にストレスでした。何度も忘れることもありましたし、忘れる度に自己嫌悪に陥っていました。それでも続けました。「ライフログを習慣化することが自分の人生において何かしらの価値を生む」と信じていたからです。信じていたというか、「この行動を何かしらの価値にしよう」と決めていた感じですね。だからこそ、強い意志を持って継続でき、習慣にすることができたのだと思います。
「ライフログを残すという習慣がどのように仕事に活きているのか?」
これは明確です。ビジネスパーソンとして「振り返り」の大切さは言わずもがな。適切な振り返りをする為には、自分自身を認識する要素が必要。記憶力の良い人は残す必要もないかもしれませんが、僕自身は記憶力が超悪いので、何でもかんでもログに残しています。何でもかんでもログに残すというのは、実はめんどくさいことです。慣れていない人にとっては、かなりの工数だと思います。ただ、振り返ることが習慣になっていると、ある行動を起こしながら頭の中が振り返りの思考になっているので、振り返りにあえて時間を設ける必要もなくなってくるんですね。次のアクションに移る数分の間に、ちゃちゃっとメモに残すだけ。
まとめます。
「自分の人生でなりたい自分を定める」
「仕事を通してどうなりたいかを決める」
「所属している組織やチームでの役割を認識する」
「その役割の中で目標を立てる」
「目標に向かう行動計画を立てて実行する」
「振り返りをする」
「振り返りにより現状を理解する」
「現状を理解した上で目標を達成している自分とのギャップを認識する」
「ギャップを認識したら行動計画に反映させて改善する」
この流れを実践できることって、自分で自分の人生をコントロールする為には絶対的に必要だと思っています。
※フリーランス的に動いていくのなら、役割認識の部分は不必要。
こうやって明文化すると、「当たり前のことしか書いてないじゃん!」と思うはずです。じやあ、この当たり前のことをできてる人はどのくらいいるのか?というか、自分の仕事における一つ一つの経験が、なりたい自分に近づく為の大切な要素だとわかりますよね。でも、今の日本には、「熱意あふれる社員」はたったの6%しかいないんです。
https://president.jp/articles/-/23978?display=b
悲しすぎます。仕事って前向きになってやればやるほど、人生が豊かになるのに。
僕の場合は、ログを残すという習慣が結果的に仕事においても有効な手段となりましたし、ライフハックを実践するのにかなり役立っています。皆さんはどうですか?プライベートで習慣になってることが仕事に活きていることはないですか?または、これから習慣にしたいと思っていることはありますか?習慣になるってことは、ストレスを感じることなく行動できるということなので、人生が楽しくなりますよ。
習慣化において必要なことは、「意志を明確に持ち、とにかく粘り強く実行し続けること。」ですかね。難しいことなんて何もありません。本質はいたって単純。
P.S.
現在、新規事業立ち上げの為に個人コンサルを受けています。事業の立ち上げに関わる専門的なティーチング・コーチングはもちろん、自身の人生自体理念を改めて確立させることもやっています。そこでの考え方は、これまで大切にしてきた理念と重なることばかりなので、このブログにて小出しにしていきます。